死のいる場所

  

 大学には誰も昇らない階段があり、

その先の小さな空間にはやはり滅多に人が来なかった。

 

畳二畳くらいのコンクリート打ちっぱなしの空間があり

屋上へと出るための扉がひとつだけある。

 

屋上は学生立ち入り禁止なので、その階段も、

その空間にも用のある人はいなかった。

 

大学に入学したその日に、階段を見つけた。

教室のすぐ隣にあったのだからきっと皆気がついたはずだ。

 

その階段は一階から、私たちの教室がある4階まで上がる延長になっているため

 

上の空で階段を上っていたら、その空間に辿り着いてしまう。

 

その狭く、しんとした空間にはっとし

上りすぎたことに気がつく。

 

刹那、若干の寂しさが漂う。

 

引き返して、振り返る。

 

その階段からは明らかに様子が違う。

 

使わない階段なものだから、やはりあまり使わない道具などが置いてあり、

電気もついていないので暗い。

 

よほど「心ここにあらず。」の状態でなければ

上りすぎることはない。

 

もしくは何かに引き寄せられて自分の意志で上るかだ。

 

いい休憩場所をみつけたと思い、

次は本を持ってきてそこで休もうと思った。

 

2日後、鞄にウィリアム・バトラー・イエイツの「ケルトの薄明」を

入れて意気揚々と大学に行った。

 

昼にちょうど次の講義まで暇ができたので

そこに向かった。

 

しばらく、そこで本を読んだ。

冷たいコンクリートと薄暗さや狭さが作り出す孤独は

心地が良かった。

 

また次の日、時間を見つけてそこに行こうとしたとき、

誰かが階段を上って行くのが見えた。

 

同じクラスの南君だった。

 

ショックであった。

 

その場所は、大学で心を休められるただひとつの場所であったからだ。

 

彼は明るく、クラスにもうまくなじんでいる。

 

きっと何か用事があったんだ。そう思い、教室にひきかえした。

 

その日以降、何度かそこに行こうか迷ったが、

南君が来るかもしれないと思うと、鉢合わせるのが嫌で行けなくなってしまった。

 

何日かして、彼がクラスメイトに

「 上の階段で寝てるんだ 」と言った。

 

あそこは彼のお気に入りの、だれもこない場所だ。

 

現に、彼以外にあの階段を上って行く人を見た事が無い。

 

すると、いよいよ全く上る気が失せてしまった。

 

2年になり、荷物を置く為にその階段を上った事があった。

 

コンクリートの壁にはあたり一面に白いチョークのようなもので書かれた

文や絵があった。

 

そこには死のことがずっと書かれていた。

 

「か」という文字が特徴的であったので、後日

南君の「か」を見て、それが一致したのを確認したとき

 

みてはならないものを見てしまったのかもしれない

という気がした。

 

4年になり、再び荷物を置く用がありその階段を上った時、

2年の時見たそれと同じまま残っていた。

 

書き足されている様子はない。

きっと南君はそれを一年のときに書いたのだ。

 

そして今もそこに彼の言葉が残っている。

彼の死が残っている。

 

いや、そこにはいつも死の影がひそんでいるのだ。

 

彼がそれを書いたからではなく、死の影がそれを書かせたのだ。

 

見た事がある。そう思っていた。

 

 

アルノルト・ベックリン「死の島」

 

 

私たちが卒業して、また孤独な学生がこの場所を隠れ場所に見つけた時、

 

ここで1人、死と向かい合うことになるのだろう。

 

   

      「 僕はこの場所で死んでしまいたい。

       

             そうしたら、なんて悲しくて美しいだろうか 」

 

 

 

 

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